モハメド・サラーの名を知らぬサッカーファンは今やいないといっても過言ではない。
プレミアリーグの得点記録を塗り替え、2シーズン連続で得点王に輝いている。
リバプールでの存在感も抜群だ。
しかし、そのキャリアは順調とは言えないものであった。
ではサラーはどのようにしてワールドクラスになったのか。
そこに至るまでの経過を少しだけ見てみよう。
始まり
2010年、サラーが18歳の時アル=ムカーウィルーン・アル=アラブでデビューを飾った。
なんと始まりは左サイドバックであった。
その後2012年にスイスの名門、バーゼルからのオファーに首を縦に振った。
バーゼルでの活躍は凄まじかった。
世界からの注目が集まりやすい国際大会であるチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグでスパーズやチェルシーといった相手から得点を奪い、一気に若手有望株として名乗りを上げた。
悪夢
様々なクラブから目をつけられていたサラーは憧れであり、夢見ていたプレミアリーグへの移籍が実現する。
当時のチェルシーが他クラブとの競争に勝ちサラーを獲得したのだ。
だが、この夢のような移籍はあっという間に悪夢へとかわる。
バーゼルで見せていた姿はそこにはなく、リーグ戦ではわずかに2ゴール、失望したチームはフィオレンティーナへローンで放出することを決定した。
2度目のチャンス
イタリアへの移籍は2度目のチャンスとなったのか?
答えはYESだ。
フィオレンティーナでは持ち前のスピードを生かしたアタッカーとして9ゴールを挙げる活躍を見せたのだ。
フィオレンティーナへの移籍は1シーズンであったが彼はイタリアへ残ることとなった。
今度はローマへと移籍し、そこでついに進化を発揮する。
初めのシーズンで15ゴール、2回目のシーズンで19ゴールを挙げ、ローマで合計23アシストも記録した。
この活躍によりサラーは再びローマ以上のビッグクラブからのオファーを待った。
£36mを提示し、ユルゲン・クロップが率いるリバプールが見事にサラーを引き入れることに成功した。
この移籍はサラーを懐疑的に見ていた人たちへの証明となるのであった。
すべてを取り戻す
サラーはリバプールでの最初のシーズンで32ゴールを挙げ、ルイス・スアレスの持つ記録を見事にうちやぶった。
その後、2シーズン連続で得点王を獲得し、50ゴールもあっさりとクリアしてしまった。
サラーの成功を決定づけるのはチャンピオンズリーグ優勝だろう。
リバプールは力を増し、サラーはその一員として重要な役割を担ったのだ。
バルセロナ戦のセカンドレグでは出場は叶わず、サラーのみならずチームが欲しがっていたタイトル獲得が実現不可能と思われていたが、ディボック・オリギやジョルジニオ・ワイナルドゥムらが見事にチームを救った。
つまり、サラーは一人でここまで来れたわけではない。
バーゼルやフィオレンティーナ、ローマでも数多くの助けを借りながら今や世界で指折りの選手へと成長したのだ。
自らの努力や結果を出す姿、そしてチームの一員になることができることすべてを総合した結果がチャンピオンズリーグ優勝だったのだ。
すべてを取り戻したサラーの物語はまだまだ終わることはない。
リバプールの悲願であるリーグタイトルを獲得へ”エジプトの王”は歩みを進めるに違いないだろう。
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